kuncoのブログ

資産の最大化と子供の将来を考えながら過ごす、40代の元テキトー金融マン。

4%ルールでは測れない、FIREの本当の難しさ

-- ノーム(社会規範)の中で、働かない自分をどう肯定するか -- 


FIRE(Financial Independence, Retire Early)。
経済的に自立し、早期に仕事を辞めるという生き方。

かつては「夢の生活」「完全勝利」のように語られ、
今では「FIRE卒業」「FIRE失敗」という言葉も聞かれるようになった。

でも、FIREを実際に経験した私が強く感じているのは、
FIREとは“お金の話”に見えて、実は「ノーム(社会規範)と自己認識の再調整」でもあるということだ。

そしてその難しさは、
4%ルールのような「数字」では測れない。


■ 私にとっての「経済的独立」とは何か

私は45歳になる手前で会社を辞めた。

不動産収入や配当収入もあり、妻は働き続けている。
金融資産も、一般的にFIRE界隈で語られる目安と比べても、
余裕をもった水準の資産を用意していたと思う。

それでも、心の中には不安が残っていた。

そもそも「最低限の生活」という言葉の中身が、
自分にとってしっくりきていなかった。

生きていくだけなら、たぶんやっていける。
けれど、「生きているだけ」の状態を、果たして自分は幸せだと感じられるのか。

生きていくために最低限必要な生活費は十分に賄える。

ただ、私が望むのは「生きるための生活」ではなく、
“自分が豊かだと思える生活” だ。

ここで言う「豊かさ」は、
贅沢を誇示したいという意味ではない。

むしろ逆で、
自分の価値観に合った生活を、「後ろめたさ」なく続けたい
という程度の話だ。
•     子どもの教育
•     家族との時間
•     趣味
•     外食や旅行
•     心に余裕をもたらす小さな選択肢

こうしたものは、
「生活の土台」ではないかもしれない。

でも、私にとっては“幸せの土台”に近い。

だからこそ、
私にとっての経済的独立は、
「最低限の生活費」ではなく、
“幸せだと思える生活を続けられる見通し”
まで含んでいる。

その見通しは、
投資資産の下落やインフレ、税制の変化など、
数字では割り切れない不確実性に左右される。

ただ、本当に向き合うべきだったのは、この「不確実性」そのものではなく、
それをどう受け止めるかという自分の心の姿勢だった。

どれだけ計算しても未来を完全に読み切ることはできない以上、
最後は「揺らぎの中でどう穏やかに暮らすか」が問われる。

そして、FIRE後に感じる罪悪感は、
「未来の不確実性」と「ノーム(社会規範)からの視線」という
別々の軸が重なり合って生まれていた。  

お金の問題と、働いていない自分への社会的視線。  
この2つが混ざり合うことで、言葉にしにくい感情が生まれていた。

FIRE前に思い描いていたよりも、
その中身はずっと複雑で、
「心のあり方」と深く結びついていた。


■ 4%ルールの限界と、私が感じた違和感

FIREの話題では、どうしても
「いくら必要か」「4%ルールは正しいのか」
といった議論に集中しがちだ。

4%ルールとは、

「生活費の25倍の資産があれば、
   長期的に資産を減らさず暮らせる」

という経験則。

米国株式の長期データをもとにした考え方で、
FIREの目安としてよく使われている。

ただ、このルールには盲点がある。
① “最低限の生活費”を前提にしている
4%ルールは、「最低限の生活費を賄えるか」を基準にしている。

でも、
最低限の生活が“幸せ”とは限らない。

もし「幸せだと思える生活」に必要な額がもっと大きいなら、
4%ルールで計算した金額では足りない。

さらに言えば、人生には突発的な支出もある。
病気や介護、家の修繕など、あまり考えたくないけれど、
一度発生すると継続的なコストになるものもある。

こうした「想定外の現実」に、
4%ルールがどこまで現実に耐えられるのかという不安があった。


②全額を投資に回せるわけではない
4%ルールは、「資産のほぼ全額を投資に回している」
という前提で成り立っている。

しかし実際には、

•     緊急時のための現金
•     市場が下落したときに追加投資する余力
•     日々の生活のキャッシュフロー

こうした“投資以外の資金”も必要だ。

③市場は「右肩上がり」だとしても、その途中には谷がある
もうひとつの不安は、「どのタイミングで資産を取り崩すか」という問題だ。

全資産を株式などのリスク資産に投じたうえで、
毎年4%を取り崩して生活費に充てるとする。

理論上は、長期的に株価が成長していけば成立する。

しかし現実の市場は、
長期的には右肩上がりだとしても、
その途中には大きな暴落や長期の低迷がある。

•     仮に1億円の運用資産があり、毎年4%=400万円を想定していたとする
•     そこに20%の下落が起きれば、資産は8,000万円になる
•     その時点の4%は320万円であり、当初想定していた400万円を大きく下回る

下落が短期間で回復すれば問題は小さいかもしれない。

しかし、日本のバブル崩壊後のように、
長期にわたり株価の低迷が続く局面も現実には存在した。

さらに、税金やインフレによる実質的な購買力の低下も考慮する必要がある。

私は、長期的には株価は成長していくと信じているからこそ、
今も投資を続けている。

ただ同時に、
途中に何度も「○○ショック」と呼ばれるような暴落や、
長期の低迷があることも理解している。

だからこそ、
4%ルールを 「FIRE判断の軸」 とすることには、
強い違和感があった。

つまり、
4%ルールは「最低限の生活 × 全額投資 × 年率4%以上の運用利回り(長期平均)」という前提の上に成り立つ理論であり、
“幸せに生きるための現実”とは、少なからずズレがある。

私が感じていた不安は、
まさにこのズレに由来していたのだと思う。


■ 経済的独立と「心理的独立」は別物だった

ここから少し視点を変えたい。

仕事を辞めた当初、
数字の上ではFIREを達成していた。

それでも、
心理的な意味での独立は、最初から完成していたわけではない。

それでもなお残っていた不安は、
もっと漠然としたものだった。

  • 「本当にこれで足りるのか」という感覚
  • 「最低限」ではなく、自分が望む水準がどこなのかが曖昧だったこと
  • 「働いていない自分」への説明のしにくさ
  • 職業というラベルを失うことによる微妙な引け目


おそらくFIREした人の多くが共有する感覚だと思うが、
こうした感覚は、数字では測れない。

FIREとは、
「労働収入からの独立」よりも、
“ノーム(社会規範)との距離の取り方”を学ぶプロセス
に近いのだと思う。

■ 子どもに「働かない親」をどう見せるかという葛藤

心理的な独立について考えるとき、
どうしても避けられないテーマがもうひとつある。

「子どもに、働いていない自分をどう見せるのか」
という問題だ。

自由に時間を使え、
大きな金銭的制約もなく、
何より家族と過ごす時間を優先できる今の生活は、
自分にとってはとても満たされたものだ。

そして、できることなら子どもたちにも、
“自分の大事なものを大事にできる人生”を歩んでほしいと思っている。

ただ同時に、
「ちゃんと働いてほしい」という気持ちも確かにある。

仕事は辛いことも多かったけれど、
そこで学べたこと、成長できたこと、
そしてFIREできるだけの専門性と資産を築けたこと。

そのすべては、仕事があったからこそ得られたものだ。
ただ、死にたいと思うほど追い詰められて働いてほしいわけではない。

けれど、ある程度の苦労をしながら、
自分の力で稼ぐという経験は、
人生にとって大切なものだと思っている。

だからこそ、
今の自分の姿をそのまま子どもに見せることに、どこかためらいがある。

「働かない人生」という選択肢を、
どこまで、どういう形で見せるべきなのか。
その答えはいまだに揺れている。

■ 職業で判断される社会と自己肯定感の揺れ

社会では、人はしばしば「職業」で判断される。

本来、職業で人を評価するのは望ましいことではない。
学歴スクリーニングが建前上は存在しないのと同じで、
職業によるラベリングも、本来は避けるべきものだ。

ただ現実には、
職業はその人の価値を測る“ものさし”として扱われることが多い。

そしてその“ものさし”は、
自己肯定感に強く影響する。

FIRE後、
病院で保険証を出すとき、
何かの申込書に職業欄を書くとき、
「今は何をしているの?」と聞かれたとき。
どこかで言い訳したくなる自分がいる。

これは、
「働いていない自分をどう肯定するか」
というテーマそのものだ。


■ FIRE後の罪悪感と引け目は、どう薄れていったか

FIRE後の罪悪感や引け目は、
時間とともに少しずつ弱まっていった。

お金を使うことへの罪悪感も、最初の頃よりは明らかに軽くなった。
投資がうまくいって資産が増えたこともあるが、
何より「不安そのものに慣れてきた」という感覚が大きかった。

その変化とともに、
ギター教室やワインの講座に通うなど、
趣味にお金と時間を使うようになった。

それによって、

  • 有意義だと感じられる時間が増えた
  • 「このお金の使い方には意味がある」と自分で納得できた


こうした積み重ねが、
お金を使うことそのものを、少しずつ肯定できるようにしてくれた
のだと思う。

そのうえで、やはり大きかったのは、
本音をさらけ出しても受け止めてくれる家族と、
ごく少数の友人の存在


とくに、私の選択を尊重し、
「大丈夫だよ」と自然に背中を押してくれる妻の言葉は、
思っていた以上に心を軽くしてくれた。

FIRE後に家族へ時間を使えるようになったことも、
自分の選択を静かに肯定してくれた。

翌日の仕事を気にせず、気持ちの余裕をもって子どもと遊べる。
その何気ない時間が、想像以上に大きな支えになっていった。

友人たちは、FIREを礼賛するでも否定するでもなく、  
私の選択を静かに受け止めてくれた。

その理解をあらためて確認できたことが、
思っていた以上に心の支えになった。

一方で、全ての人が同じように受け止めてくれたわけではない。

そこまで親しいわけではない人に試しに話してみると、
「暇じゃないの?普段何しているの?」と何度も聞かれたり、
こちらの意図とは少しズレた「心配」を向けられることもあった。

資産規模を勝手に低めに見積もられ、
懐事情を気にかけられるような場面もあった。

そして何より、母に伝えるのはかなりためらった。
実際に話したのは、FIREから2年以上経ってからだ。

伝える前の数年間、
財産の状況や不労所得の推移、
子どもたちの将来も含めて生活面で不安がないことを、
何度も何度も説明した。

母が本当の意味で納得しているのかどうかは、正直わからない。
健康で、幸せに「働いてほしい(ほしかった)」という気持ちは、
未だに言葉の端々から感じる。

それでも最終的には、
辞めても生活に困らず、苦しんで働くくらいならそれでいい、
と受け止めてくれているのだと思う。

ほんの一部の親族しか、私が退職した事実を知らない。
多くは、今でも私が元の会社で働いていると思っているだろう。

こうした経験を重ねる中で、
「誰に、どこまで自分をさらけ出すのか」という距離感を、
自分の中で少しずつ調整してきた。

そして、その距離の取り方は、
FIRE後に感じる「孤独」とも深く関わっている。

■ 孤独について、今思っていること

FIRE後、「孤独ではないか?」と聞かれることがある。

正直に言えば、自分はあまり孤独だとは感じていない。

会社のように常に人がいるわけではないので、
ふと人と話したくなる瞬間はある。  

とくに金融や経済の専門的な話は、
元同僚と飲みに行かないと満たされないこともある。

ただ、家族は時間になれば帰宅するし、
友人や元同僚とも、時間を選べばつながる。

だから、「本当の意味での寂しさ」を感じることはほとんどない。

孤独かどうかを決めるのは、周りに何人いるかではなく、
本音を受け止めてくれる人がいるかどうかで決まるのだと思う。


孤独は、周囲に人がいるかどうかではなく、
「自分がそこに属していると感じられるか」で決まるのだと思う。

私の場合、むしろ働いていた頃のほうが、
価値観のズレから、「ここは自分の場所ではない」と感じる場面が多かった。

■ 働いていた頃には「そもそも水が入っていること」に気づけなかった
働いていた頃の私は、
とにかく時間に追われていた。

•     業務
•     プレッシャー
•     責任
•     家族との時間の不足
•     休みの日でも翌週の仕事のことが頭から離れない


当時の私は、
早期退職を目指し、
資産という“水”をコップに貯めることに必死だった。

その結果、
自分のコップがどれくらいの大きさなのか
そして今どれだけ水が入っているのかを確かめる余裕すらなかった。

FIREして時間と心理的な余裕が生まれ、
ようやく自分のコップをじっと眺めることができるようになった。

そこで初めて、
「半分もある」と見るか、
「半分しかない」と見るか、
という話になる。

ここから先は、
前回の記事で書いた「幸せを感じる才能」の話になる。

同じ量の水を見ても、どう感じるかは人によって違う。

FIREはその“土台”を整えてくれたが、
水をどう見るかは、
やはり自分自身の内側の問題だ。

kunco.hatenadiary.com



■ 最後に

FIREは、
「いくら必要か」という数字の話に見える。

でも実際には、
数字では測れない部分こそが、FIREの本当の難しさだと思う。

•     ノーム(社会規範)との距離の取り方
•     職業というラベルを失った自分をどう肯定するか
•     本音を受け止めてくれる人がいるか
•     自分の「幸せを感じる才能」をどう育てるか
•     4%ルールでは測れない“豊かさ”の定義をどう決めるか


FIREは、
経済的な自由を得るプロセスであると同時に、
自分の生き方と人とのつながり方を問い直すプロセスでもある。

そして今の私は、
揺れや迷いを抱えながらも、
それでもこの選択をしてよかったと思っている。



 

【注】
このエントリーは、Copilot(Smart:GPT-5.1)さんとの対話をもとに作成したものです。
自分が抱いた疑問や不安、考えたいテーマを投げかけ、その対話の中で得た整理や視点をもとに、
文章全体の構成やまとめは Copilot(Smart:GPT-5.1)さんに手伝ってもらいました。


また、ここで扱っている内容は、あくまで私自身の経験から感じたことを言語化したものです。

FIREや働き方、生き方についてはさまざまな考え方があり、
どれが正しい・間違っているという話ではありません。

他の方の価値観や選択を否定したり、攻撃する意図はまったくなく、
あくまで「ひとつの個人的な視点」として読んでいただければ幸いです。